歌詞小僧のブログ

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星野源『アイデア』の歌詞を真面目に読み解く

 

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初投稿の今回取り扱う曲は星野源の『アイデア』です。2018年8月20日にリリースされた配信限定のシングルで、朝ドラ「半分、青い。」の主題歌でもあります。

星野源自身も述べているようにこの曲は大きく2パートに分かれており、1番では世間がイメージする明るい星野源、2番以降では家で独りでいる時の孤独感に苛まれている星野源が反映されています。その歌詞とリンクするようにバックの演奏もガラッと変化していきます。

 

 

そもそもこの曲は構成自体にアイデアが詰め込まれた曲なのです。マリンバがメロディを奏でるいかにも星野源といったイントロ、ジャッ・ジャジャッと歌と演奏の歯切れのよいシンクロから始まる1番、生楽器の演奏からMPCを用いたダンスビートにガラッと雰囲気が変わる2番、PVのダンスが印象的な間奏、星野源ソロの初期を彷彿とさせる弾き語りパートを経て、ラストのサビ・アウトロからの最後はドラでがっしゃーん。目まぐるしく展開していきます。

 

 

曲の展開は変わっていきますが、歌詞の伝えようとしていることは一貫しています。言ってしまえば「何てことのないつまらない日常生活、もしくは苦しいことにあふれている日常生活も捉え方を変えればそんなに悪いものじゃないよ」ということだと僕は受け止めました。そんな星野源の『アイデア』を1番、2番、間奏以降の3つに分けて細かく見ていきたいと思います。

 

 

 

① 1番 : ポジティブサイドの星野源

おはよう 世の中
夢を連れて繰り返した
湯気には生活のメロディ

鶏の歌声も
線路 風の話し声も
すべてはモノラルのメロディ

涙零れる音は
咲いた花が弾く雨音
哀しみに 青空を

つづく日々の道の先を
塞ぐ影にアイデア
雨の音で歌を歌おう
すべて越えて響け

つづく日々を奏でる人へ
すべて越えて届け

 

いきなりの『おはよう、世の中』という雲の上からの視点的な歌詞にドキッとした方もいるかもしれませんが、星野源が天狗になったというわけではないはずです。

朝ドラの主題歌ということを意識されての歌詞ですが、この耳に残るフレーズ+ジャッ・ジャジャッという歌と演奏の印象的なシンクロが冒頭に置かれることで、お茶の間で何気なく流れても「お、なんだなんだこの曲は?」とつい聴き入ってしまう効果があるように思います。つまり、星野源が意図したことかどうかは不明ですが、テレビから何気なく流れてきても素通りさせない ”つかみ” の役割を果たしているのですね。

 

 

『湯気には生活のメロディ』ってフレーズもまたいいですね。朝起きてコーヒーでも淹れるためヤカンに火をかけ待っているとピーッ!とお湯が沸いた音が鳴り響く、そんな想像を掻き立てられます。それを生活のメロディと言い表すところに彼のオリジナリティが感じられます。

『夢を連れて』はまだ起きたばかりで夢見心地な状態といったニュアンスですかね。

また『モノラルのメロディ』は「半分、青い」の主人公が右耳しか聞こえないこととリンクしていると思われます。

 

 

Aメロではこのヤカンの音や鶏の歌声、線路・風の話し声も聴きようによってはメロディになり得ると歌っています。Bメロでは涙零れる音、雨音が出てきますが、サビではそういった哀しい音でだって歌を歌えるのだと発想を転換しています。

このように、生活における何てことのない音も聴き方を変えれば歌のメロディになり得る、突き詰めれば何てことのない日常生活も捉え方を変えれば面白いこと・ワクワクすることにあふれているということを投げかけています。そしてこの捉え方の転換自体のことをアイデアと言い表しているのだと思います。

 

 

ただ「何気ない日常にも素晴らしいものがあるよね !あー毎日楽しい!」などと語る人ってなんだか胡散臭いですよね。以前星野源自身も本に書いていたのですが、黙ってても何気ない日常なんてものは何気ない日常でしかなく面白くはならないのです。必死に面白さを見出そうとする努力と根性が必要だと言います。そう、この曲で言うイデアには努力と根性が必要だと言えるです。

 

 

 

 ② 2番 : ネガティブサイドの星野源

 

おはよう 真夜中
虚しさとのダンスフロアだ
笑顔の裏側の景色

独りで泣く声も
喉の下の叫び声も
すべては笑われる景色

生きてただ生きていて
踏まれ潰れた花のように
にこやかに 中指を

つづく日々の道の先を
塞ぐ影にアイデア
雨の音で歌を歌おう
すべて越えて響け

 

1番とは打って変わって暗いテンションで2番は始まります。普段周りに見せている笑顔の裏側で確かに存在する陰の星野源、夜中に家で独り、虚しさと付き合わざるを得ない星野源が描かれています。ここでダンスビートが使われているのは、独りで苦しかった時期(特に2017年)にビートミュージックをよく聴いており、そうした類の音楽が表現する孤独感に甚く救われたためであると本人は語っています。

 

 

『喉の下の叫び声』、声にして発散したいけれど声にならずに喉の下でただ蓄積されていく負の感情、というのが視覚的に想像させられる好きなフレーズの1つです。

そういった陰の星野源を『すべては笑われる景色』として周りに見せないようにしているところに彼の自意識を感じます。

何といってもBメロの『生きてただ生きていて 踏まれ潰れた花のように にこやかに中指を』は大パンチラインですね。

 

 

また1番との対比も計算されており、『おはよう世の中』と『おはよう真夜中』、『歌声、話し声』と『泣く声、叫び声』、Bメロで共に花をテーマにしていることなどが挙げられます。(『鶏(とり)の』と『独り(ひとり)で』も意図的に合わせているのかな?と思いました。)

 

 

 

③ 間奏以降 : ネガティブサイドからの救い

 

闇の中から歌が聞こえた
あなたの胸から
刻む鼓動は一つの歌だ
胸に手を置けば
そこで鳴ってる

つづく日々の道の先を
塞ぐ影にアイデア
雨の中で君と歌おう
音が止まる日まで

つづく道の先を
塞ぐ影にアイデア
雨の音で歌を歌おう
すべて越えて響け

つづく日々を奏でる人へ
すべて越えて届け

 

1番で描かれた平穏な生活に対して、2番では孤独感に苛まれる生活が描かれていました。そんな2番での絶望からの救いが弾き語りパートで提示されます。

つまり「たとえ孤独の中で何も聴こえなくなっても、生きていれさえすれば鼓動を刻みその音が歌になり得る」という形で提示されるのです。このパートで2番の内容が回収され、孤独の中でも聴き方を変えれば唯一聴こえる自分の鼓動だって歌になり得ること、つまりここでもやはり日々の中で何かを乗り越えるための捉え方の転換=アイデアが歌われているのです。

1番ではアイデアを持てば面白いことが見つけられるよ、2番ではアイデアさえ持てば人生捨てたもんじゃないよ、というテンションの差は存在します。

 

 

サビの『音が止まる日まで』はおそらくこの弾き語りパートとリンクしています。つまり、音が止まる日=自分の鼓動さえ聴こえなくなった日=死ぬ日まで歌い続けるということですね。

間奏以降で出てくる『あなた』や『君』はおそらくこの曲を聴いている人たちを指しているものと思われます。

 

 

この曲のサビの歌詞は最初から最後までほとんど変わりません。ここまで内容てんこ盛りだとついもっと濃い味を求めてしまう僕は、最後のサビだけでももう1つ新しい展開があったらな~などと考えてしまいます。

が、そこまで変化をつけてしまうとごちゃごちゃし過ぎるだとか、サビごとにバックの演奏のテンションが違うのでそこで既に変化をつけているといった考えがおそらくあるのだと思います。ここはもう好みですね。

 

 

 

~ まとめ : 良い曲だなあ ~

 

こんな感じで最後まで歌詞を見てきましたが、1番と2番で陽と陰という違いはあれど伝えていることは一貫して「何か問題のある日常生活も捉え方次第で乗り越えられ得るよ」ということだと思います。

 

 

ここで重要なのは、鶏の歌声や雨音、ましてや自らの鼓動など実際はメロディにならないし、もちろん歌にもなり得ないのです。実際はそうなのですが、それでも歌やメロディになり得るのだという風に自分の中で物事を拡大し新しい解釈を加えていく必要があるのです。そういった意味でアイデアには努力と根性が必要ですし、嘘・虚構をもって日常を面白く作り変えていくというテーマは星野源の過去曲『フィルム』『パロディ』『夢の外へ』『地獄でなぜ悪い』あたりに通ずるように思えます。

 

 

この曲は本人が ”自分の名刺代わりとなる曲になるように作った” と述べているように星野源らしさが詰まった曲です。イントロから漂う色濃い星野源の匂い、歌詞に散りばめられたSAKEROCK時代を含む星野源の過去曲のタイトルたち、アルバム「Yellow Dancer」以降の音楽性に加えソロ初期に主柱としていた弾き語りなどなど。

なので今まで星野源ブームに追いつけなかった人も、この曲を丁寧に聴き込めば星野源大体分かったわ顔ができます。(ちなみにそんな奴は星野源geekに殴られます)

 

 

そんなところにも注目しながら星野源の『アイデア』、是非是非聴いてみてください!

 

 

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以下のサイトが『アイデア』を読み解く上で非常に参考になります。

 

www.hoshinogen.com

 

 終わり。